山口県と湯田温泉の見どころ

山口県と山口湯田温泉について

平成30年は明治維新150年に相当し、山口県では、幕末維新をテーマとした観光キャンペーン「やまぐち幕末ISHIN祭」が展開されています。室町時代から戦国時代には、フランシスコ・サビエルや雪舟、戦乱の京都から逃れてきた公家や文化人が山口に滞在し、大内文化が花開きました。室町時代、山口は京都に次いで、堺や博多などと並ぶ大都市のひとつとして栄えていました。この地を治めていた大内氏が京都になぞらえて建設した町並みは美しく、山口市は「西の京」と呼ばれるまでに発展し、国内有数の都市として栄えました。山口市にある山口湯田温泉は、白狐が見つけた美白の湯です。山口市の中心街に近く自然の景観にもすぐれ、豊富な湯が湧き出る湯田の地は、魅力ある土地として広くしられていました。この温泉の起こりは、三十世大内義興(よしおき)公の時代にまでさかのぼります。そのころ、村のお寺にあった小さな池に、ケガをした一匹の白狐が毎晩傷ついた足をつけにやって来ていました。その様子を眺めていた和尚さんが、夜明け近くになってようやく去って行く白狐の住みかをのぞいてみたところ、そこは、お寺の北東にある峰の中腹で、かつて二十四世大内弘世公が紀伊の熊野三所権現を迎えてお祀りした権現山だったのです。不思議に思った和尚さんが、白狐をつけていた池の水をすくってみると、なんとほんのり温かい。そこで、さらに深く掘ってみたところ、なんと大量の湯がこんこんと湧き出てきたのです。

湯田温泉はアルカリ性単純温泉で、肌によく馴染むやわらかい湯が特徴です。

神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、ぢ疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進に効能があるため、昔から多くの人々に親しまれ、そして愛されてきました。 しかし、一番の特徴は豊富な湯量、1日に2,000トンもの天然温泉が湧き出ているのです。

山口市は、また激闘の幕末に活躍した維新志士たちとゆかりの深い土地ですが、湯田温泉はなんと、かの高杉晋作や伊藤博文、坂本龍馬らが度々訪れ、酒盛りをしていた場所なのです。当時志士たちが集まっていたという旅館も残されており、幕末の公卿で長州に亡命した後この地に滞在していた三条実美も度々滞在していました。この場所で、日本の歴史を築いた人物たちによる密議が夜ごと行われていた、というわけです。また、彼らが入浴したという浴槽も残されており、「維新の湯」と呼ばれています。江戸時代の末期につくられたこの浴槽は、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、大村益次郎、坂本龍馬、伊藤博文など、誰もがその名を知る有名な志士たちも入ったとのことです。 歴史に思いを馳せながら散策するのにちょうど良い場所、みなさんも、志士たちが癒された由緒ある湯にゆったりとつかり、その効用をじっくりと味わってみてください。無料で楽しめる足湯が五箇所あり、観光客や地元の人々の憩いの場所となっている。

『PETサマーセミナー2018 in 山口湯田温泉』の会場の『ホテルかめ福』について

大会会場は山口湯田温泉の中心街にある『ホテルかめ福』で開催されます。会場は驚くような大広間で行われます。勿論、温泉を十分に堪能できる施設が整っています。向かいには、「中原中也記念館」もあります。近くには、「温泉の森」という施設もあり、何種類もの湯船があり、さらに温泉を堪能したい方にはお勧めです。また、近隣には、無料で楽しめる足湯が5箇所あり、観光客や地元の人々の憩いの場所となっていますので御利用ください。なお、『ホテルかめ福』向かいには天皇陛下が山口にこられた際に常宿とされている田中ホテルがあります。

湯田温泉はアルカリ性単純温泉で、肌によく馴染むやわらかい湯が特徴です。 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、ぢ疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進に効能があるため、昔から多くの人々に親しまれ、そして愛されてきました。

「中原中也記念館」について

大会会場の湯田温泉にあるホテルかめ福の向かいには、「中原中也記念館」があります。湯田温泉とゆかりのある著名人は、維新の志士だけではありません。日本のランボーといわれる詩人・中原中也も、実はこの土地で生まれ育った人物なのです。

明治四十(1907)年四月二十九日、中也は湯田温泉で医院を開業していた中原謙助、フクの長男としてこの地で生まれました。昭和四(1929)年に河上徹太郎ら友人たちと同人誌「白痴群」を創刊。昭和九(1934)年には第一詩集『山羊の歌』を出版し、詩壇に認められます。フランス詩の翻訳も手がけるなど広く活躍しましたが、わずか三十歳で短い生涯を閉じました。その後、第二詩集『在りし日の歌』も刊行され、今も日本はもちろん海外でも多くの人々に愛されています。

中也の生家跡に建てられた「中原中也記念館」では、遺稿や遺品を中心に、貴重な資料を公開しています。また、井上公園に建つ詩碑では、中也がこの地を思い詠んだ「帰郷」という詩、錦川沿いにある詩碑には、小学校の教科書にもよく採用されている「童謡」という詩に出会うことができるでしょう。ここに、良く知られている中原中也の詩を1つ御紹介します。

「帰郷」
これが私の古里だ
さやかに風も吹いてゐる
ああおまへは何をして来たのだと
吹き来る風が私にいふ

国宝瑠璃光寺五重塔について

エクスカーションの1つに瑠璃光寺への散策を設けました。国宝瑠璃光寺五重塔は山口市内にあり、山口湯田温泉街から歩いて20分ほどのところにあります。応永6年(1399)の応永の乱で命を落とした大内義弘の菩提を弔うために、弟の盛見が建立を計画、嘉吉2年(1442)に完成したといわれています。塔は、方三間で高さが31.2m、建築様式はおおむね和様式で一部に唐様式が見られます。屋根は檜皮葺で、塔身部は上層部に向かって細くなっており、非常にすっきりとした印象です。室町時代中期におけるすぐれた建築の一つであるとともに、大内文化の最高傑作であり、日本三名塔の一つにも数えられています。瑠璃光寺はいつでも無料で開放されています。

菜香亭について

エクスカーションの1つに瑠璃光寺から菜香亭を散策するコースを設けました。菜香亭は、明治10年に創業した料亭ですが、平成16年に山口市の観光施設・市民交流の場として生まれ変わりました。井上馨、伊藤博文、佐藤栄作ら多数の著名人の書や所蔵品等の公開、館内の部屋の貸出などを行っています。古い日本料亭の特徴を示す100畳敷の大広間で、歴史の歩みを感じながら利き酒会を催します。

秋芳洞の御案内

エクスカーションの1つに秋芳洞へのミニ観光を設けました。秋芳洞は、秋吉台の山麓にある日本屈指の大鍾乳洞で、。洞口の高さ24m、横巾8mに達し、洞内の最も広いところが200m、天井の高いところが40m、最も高いところは80mに達しています。延長は約10kmといわれているが、一般観光ルートは約1kmまでです。洞内の気温は四季を通じて17℃のため、快適に探勝できます。山口湯田温泉街からバスで片道40分程度です。

俳人・種田山頭火について

酒と旅、そして温泉を愛した俳人・種田山頭火もまた、湯田温泉にゆかりある人物のひとりです。山頭火は山口市の隣の防府市の生まれですが、昭和七年、小郡の「其中庵(ごちゅうあん)」に住んでからは、十二キロの道を歩いて湯田温泉に通っていたと言われています。その後、昭和十三年には湯田前町竜泉寺の上隣に移り住み、湯田温泉のことを多く詠んだとのこと。中でも錦川通りにある句碑に刻まれた作品は、ユーモラスにあふれたものとして親しまれています。ここで山頭火の俳句 の中から、ほんの一部を御紹介します。

分け入っても分け入っても青い山
ころり寝ころべば青空
よい宿でどちらも山で前は酒屋で

大会長からのお勧めグルメ

湯田温泉の近くに山口市街や山口県庁があり、山手には瑠璃光寺があります。瑠璃光寺の近くに長州名物「そば寿司」をだす老舗があります。向かいには長州名物「かわら蕎麦」があり、どちらもお勧めです。